人が感動するってなんだろう。

こんな「チラ裏」を書いてる暇があるなら MBP のセットアップを進めなきゃなんだけど、連休中も結局あれやこれやとやることがあって MBP は放置のまま…。早くしないと WWDC で M2 Mac が(以下略

先日体験したこと

先日クラシックのコンサートへ行く機会があった。

そんな暇があr(以下略

実はこう見えて(笑)中高は吹奏楽部にどっぷりだったので、今でも普段からクラシック音楽を(もちろんいわゆるロックとかポップスとかブルースとかも)聴いている。仕事をしながら BGM に流していることも多い。まぁ僕に対するイメージからは程遠いかもだけど。

演目は僕の好きな「フランス印象派」だったので、期待もあった。

印象主義音楽(いんしょうしゅぎおんがく)は、20世紀初頭のフランスに興ったクラシック音楽の流派の一つ。ロマン派音楽に見られるような主観的表現を斥け、激しい情緒や物語性の描写よりも、気分や雰囲気の表現に比重を置いた音楽様式である。ドイツ後期ロマン派音楽への反動に始まり、中世西洋音楽ルネサンス音楽などバロック以前の音楽様式の影響の下、長調短調をぼかすような音楽語法、非機能的な和声法や完全音程の平行、旋法性、不協和音の多用、簡潔で明快な形式への偏愛などを特徴とする。一般的にはクロード・ドビュッシーにより始まったとされる。

印象主義音楽 – Wikipedia

ずーっと長いこと「印象派」って言ってたけど、正しくは「印象主義音楽」なの…?昔と言い方が変わった?これ調べて初めて知った(笑
ちなみにドビュッシーフォーレも大好きだけど、一番好きなのはやっぱりラヴェルかな。
しかも、この Wikipedia を読むとフォーレは印象派の分類に含まれないらしい(入ってない)…。それも初めて知った(笑

演奏するオーケストラは小さい頃から名前を知っている有名なオケだが、コンサートで生演奏を聴くのは初めて。指揮者の人も残念ながら初めて知る人だったが、演目に惹かれて聴きに行った、というのが正直なところだった。
そもそもは箱(ホール)が滅多に行けないところだったので、そちらの期待のほうが大きかったのだけれど、たぶん日本で一番いいホールで自分の好きな曲の生演奏が聴けるということでとても楽しみにしていた。
演奏自体もとてもよかった(特に2曲目の演目はとてもいい演奏だった)ので充分満足したのだが、ここでは演奏が終わってから起きた出来事について話をしようと思う。

なにがあったのか

全ての演目が終わって指揮者も何度も拍手に応え、客電(客席側の照明)も点いてオーケストラのメンバー全員が袖へ下がっても、会場の拍手が鳴り止まなかったのだ。
客電は点いているので、気の早い人たちはどんどん席を立ってホールの出口へ向かっている。それでも5〜6割くらいの聴衆は帰ろうとせず、なんならその場で立って拍手を送っている。

そうこうしていたら、また指揮者が舞台に「オーケストラのメンバーを連れて」現れたのだ。
一度は全員が袖に下がったので、中には控え室まで戻ってしまった団員もいたかもしれないが、たぶんほとんどの団員が舞台を下りたそのままの格好で(もちろん楽器を手にしたまま)ふたたび舞台上に揃い、拍手に応えてお辞儀を何度も繰り返す。
まだ残っていた聴衆は、もうその時には全員がそこに立ち上がってスタンディング・オベーションしていた。

その場にいる全員が笑顔だ。

そのホールは舞台をぐるっと囲うように座席があるホールだったので、指揮者とオーケストラの団員は四方へ向けて何度も何度も繰り返しお辞儀をしていた。

僕はなんて感動的な場面に居合わせたんだろうか。

それほど多くはないが、これまでも何度かオーケストラのコンサートに行ったことがある。小学生の頃ではあるけれど、当時世界一と並び称される指揮者の来日公演に行ったこともあるし、数年前にはベルリンで世界最高峰のオーケストラの演奏を生で聴くというまさに夢のような経験をしたこともある。でも、その時でさえそんなことは起きなかった。
本当に心の底からその日その時の演奏を讃える、「ごく自然な」スタンディング・オベーションだった。

そこで思い出したこと

僕は吹奏楽部ではいわゆる「金管楽器(トランペットとかトロンボーンとか)」を吹いていたのだけれど、高校卒業を機にすっぱり辞めてしまい、その後は一度も吹いたことはない(自分の楽器を持っていなかったことも理由のひとつ)。

それでも当時演奏会で吹いた曲や慣れ親しんだ曲の演奏を聴けばその頃のことを思い出すし、なんなら自分が吹いたパートくらいは空で歌える程度には覚えている(笑

クラシックのコンサートを聴きにくるような人たちだから、たぶん当日の聴衆はなにかしら自分で演奏する人も多かっただろう。
たまたま僕の隣の席は高校生らしき男の子2人組だった。きっとオーケストラか吹奏楽部に所属しているんだろう。
彼らにとってこの日の演奏会はどう感じられただろうか。いいおっさんになった時にこの日のこの演奏を思い出すことがあるだろうか。

いやー羨ましい。

僕が高校生のころはオーケストラのコンサートなぞ聴きに行った記憶はないのだけれど、練習後に毎晩先輩の家にたむろしてレコードや CD(当時まだ発売直後だったのでめったにお目にかかれず、当然のようにまだ僕の家にはなかった)なんかを聴いてはあれこれ夜中まで話していたのを思い出す。
(いま考えれば先輩のお宅に迷惑極まりないし、それもいいけどまずはちゃんと毎日の勉強をしろって話だ

バイク屋での仕事

バイク屋にいた頃は、毎日が本当に慌ただしく仕事に追われていて、ゆっくりその日を振り返ったり何かの余韻に浸っている余裕はなかった。
ひとつの作業が終わったらすぐ次の作業があり、その日の予定の作業が終わったら翌日や翌週、翌月の計画を立てるという毎日で、息つく暇などなかった。

それでも納車の時にお客さんに近場をぐるっと一周乗ってきてもらったあと『うわーめっちゃ乗りやすくなった!!』と言われるのが嬉しくて(もちろんそうやって言われるという絶対の自信を持ってやっていたわけだけど)、それを糧に仕事をしていた。
いつでも「いまできることが自分の過去最高のこと」なので、前回整備した時よりも今回のほうがもっと調子よくなっていて、もっといいものを提供して、もっと喜んでもらえて、もっと安全に安心して乗ってもらえるようにといつも考えていた。

Web 制作での仕事

ずいぶん昔にも同じようなことを書いたことがあるのだけれど、いま読み返してみるとだいぶこっ恥ずかしいが(笑)その意識は今でも変わっていない。
バイク屋の時と同じように、(自分はいまでも成長しているのだから)前の案件よりも今回の案件のほうが更に(その構造や操作が)扱いやすくなっていて、もっといいものを提供して、もっと喜んでもらえて、もっと安全に安心して使ってもらえるように考えて制作作業をしている。

残念ながら、これまた以前にも書いたように、もう僕が人生の下り坂にいることは疑いようのない事実だ。
進み具合は亀の歩みほどノロいし、若者にはあっという間に追い越されるけれど、どんなに少しずつであっても前に進めなくなったら終わりだと思っているので、僅かではあっても毎日成長したい、成長しようと思っている。

気づいたら僕ももう先月で Web の仕事を始めて丸10年が経っていた。
ただ時間だけが過ぎてしまったような気もするし、バイク屋歴は17年なのでまだまだそれには及ばないし、なんならまだバイクを弄るほうが上手だとは思うが(笑)、自分なりにいつでもそのときにできる最大限のことをやってきたつもりではいるし、その積み重ねだけでやってきたと思っている。

プロだから「できるのは当たりまえ」なのだけれど、残念ながら未だにできないことはめちゃくちゃたくさんある。
僕だけでできることはたかが知れているので、僕のできること・できないことをお互いが補い合うためにチームを組んでやっている。最低限のことなら僕だけでもどうにかできるかもしれないが、僕がそんなにデキる人でないことはもうとっくにバレている(笑

バイク屋にいたころも「将来は独立しよう」とは全く考えていなかったのだが、いまの Web 制作の仕事でも独立しようと思ったことはないし、できるとも思ったことはない。僕にそんな能力も甲斐性もないことは自分が一番良く知っている。

結局のところ、どんなかたちであれチームでなにかに取り組むことが「僕のやりたいこと・やれること」なんだろう。
誰かに助けてもらわないとなんにもできないことは充分自覚しているんだから。

誰かに感動を与える仕事とは

いわゆる「就職して」の仕事としてはバイク屋と Web 制作しかしていないのでそれほど経験があるわけではないのだけれど、これまでの仕事で『誰かに感動を与えられたか』と考えても、残念ながら「これだ!」と言えるものをぱっとは思いつかない。

前述したようにお客さん(=クライアントさん)に喜んでもらうために仕事をしているけれど、「感動した」とまで言われたことがこれまであっただろうか…?

人を感動させる仕事、ってどんなことだろう?
今回体験したオーケストラのコンサートは、確かに感動した、と言える。指揮者の人やオーケストラの団員がこれまで(きっと本当に若い頃、いや小さい頃から)厳しい練習を積み重ねて技術や表現を磨き、その人達が集まって一つの曲を作り上げ、それを奏でることで聴衆が感動する、そんな素晴らしい仕事を自分もできるのだろうか?

自分はほんのちょっとではあるけれど楽器に触れたことがあるので、その演奏がどれくらい高い技術でどれくらい難しいものなのか、そのわずか一部分はわかる気でいる。その技術的な難易度に感動したのだろうか?いや、きっとそれだけじゃない。

そういう高い技術を持った一人ひとりが集まり、みんなで完成に向かって突き進み、100%の力を出し切ってそれを伝えようとすることに感動したんじゃないだろうか。
誰一人欠けても完成はしないし、特に生演奏だからその瞬間しかない。その空間を共有できたこと、そのことが感動を呼ぶんじゃないだろうか。

違うかもだけど(笑

ということで

なにが「ということ」なんだかさっぱりわからないのだけど、今期(mgn は今日6月1日から第7期目に突入)から mgn の取締役を拝命しました。

これ、「取り締まられ役」の間違いなんじゃないかと思うんだけど…。
まあ弊社社長も「面白いじゃん!!」と言っているから、ネタ枠であることは間違いない(笑

僕が取締役になったからといって mgn が突然大きく変革するとも思えないし、役員になったところでいきなり僕があれもこれもできるようになるわけはないんだけれど(笑)、きっとなにか僕でも役に立てることがあるんじゃなかろうか…いや、ほんとにあるのかな(笑
せめてみんなの足を引っ張ることなく、(気持ちは)若くあり続けたいものだ。

「CEO」とかのいわゆる肩書は(たぶん)ないんだけど、自称「C(ちょっと)・T(歳イった)・O(おっさん)」ということにしておきたい。
一般的な企業ならば役定(役職定年)になろうかという年齢で役員になる、というのもある意味ネタなのだけれど、いわゆる「Web 業界」ではわりと歳とってるほうだという意味での、「じゃない」ほうの CTO なので(笑)、これからさき大多数の人よりきっと早く「定年」とか「後期高齢者」とかを経験することになる。
他の人よりちょっと早くいろいろなことが経験できるという意味で、僕の存在が何かの役に立つのであれば嬉しい限りだ。

ともあれ、引き続き mgn 共々何とぞよろしくお願いいたします。
僕も身体が動く限りはスタッフやります(ぇ

『ひとを感動させる仕事』がこの仕事でできるのか、この歳になっても僕にはまだわかっていない。
でも、それを目指してひとつずつ確実に、着実に一歩ずつ進んでいくのは間違っていないんじゃないだろうか。

お客さん(=クライアントさん)の思いを具現化し、自分ごととして真摯に向き合い、その期待を超える何かを提供できたときに、きっと人は感動するんだ。

っていう話を近日中に WPZoomUP で聞ける(もちろん僕が話すんじゃないけど)、って噂ですよ(宣伝

One more thing…

こういうタイミングなら Amazon の干し芋のリストを貼ってもいいって誰かが言っていたので貼っておく。
みんな贈ってくれていいのよ?

ただ、間違ってもネタで登録してるものは送りつけないでね♪

ちなみに、件の DUCATI は車検が切れたまま10年が過ぎてしまったのであった…。あーあ(笑