下り坂を舐めると膝を痛める

今年も残すところあと352日となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

人間の本来の寿命は38歳!?

昨年末、こんな記事を読んだ。

A new study shows an animal’s lifespan is written in the DNA. For humans, it’s 38 years

DNA から得られる情報によると、人間のもともとの寿命は38歳、ということのようだ。
もうとっくに38歳は超えてしまっているので、「DNA の上では」もう僕の寿命はとっくに尽きているようだ。

何かを成し遂げられたか

これまでを振り返ってみても、誰かに胸を張って「これを成し遂げました!」と言えるようなものは残念ながらなにひとつない。その実感もないし、実際そう言えるものもないのが実情だ。
孔子は「五十にして天命を知る」なんて言ったが、50歳をとっくに過ぎてしまったにも関わらずそんなものなにもわかっちゃいない。
自分がいることで誰かの助けになるよう、誰かのために働くよう努めてはいるが、なかなか思うとおりにはいかず歯痒い思いをする日々だ。

ただ、これまでを振り返ると「最終的になにかを成し遂げる」ことが自分のゴールではないのかもしれないとも思っている。
もちろん何かを成し遂げることは素晴らしいことで、それもひとつの目標ではあるのだが、毎日少しずつでもいいので最後まで日々成長し続けようとすることが自分に合っていると思っている。
なにかひとつ大きなことをやり遂げることはできなくても、小さなことを積み重ねていくことにもなにかしらの意味があり、それで得られるものもあるのではないだろうか。

Web の仕事に携わるようになってかれこれ10年になろうとしている。10年と言ったら結構なキャリアなのでもっと知識も技術もあるべきだと思うが、残念ながら思うようにはいかない。
いつまで経ってもわからないことやできないことがたくさんあり、何かひとつ出来るようになってもすぐにまた別のできないことにぶち当たる。後輩にはどんどん追い越され、いつまで経っても先輩には追いつけない。いまさら焦るということはないが、自分の無能さ加減に落胆する毎日だ。
それでも自分の成長を信じて前を向くしかないことは分かっている。残り少ない人生と思えば、落ち込んでいる時間などないのだ。

チームというバックボーン

自分ひとりではできないことばかりだが、チームになることで出来ることは飛躍的に増やせる。
自分ができないことでもチームの誰かが出来るし、そのチームを補う形で自分のこれまでの経験や出来ることが活かせる(こともある)。
自分ひとりはちっぽけな存在だが、チームの一員として自分のできることを活かせるということはとても幸せだ。チームの足を引っ張ってしまわないよう、いま自分の出来ることを確実に終わらせていくことを目標としている。

下り坂を舐めると膝を痛める

既に人生の下り坂に入っているとはいっても、これまでの知識や技術だけでやっていけるほど世間は甘くない。まだまだ足りないことはたくさんあるし、できることもたくさんあるだろう。

上り坂を登るには身体に大きな負荷がかかるが、下り坂が楽かといえばそんなことはない。下り坂でも足の筋肉には負荷がかかり、膝やふくらはぎを痛めてしまう。下り坂だからと気を抜くことなく、それに耐えられるような身体(知識・技術)を作れるようトレーニングを続けたいと思う。

下り坂には下り坂の走り方があるのだ。

表裏一体

僕の昔からの悪癖に「本来の目的を見失う」というのがある。
例えば、なにかプログラムを書いて実現したいことがある場合に、やっているうちにプログラムを書くこと自体が面白くなってしまい、あれこれ付随したことにも手を出してしまう、といったようなことだ。
本来の目的はそれではないし、例えばそれが仕事だったらとにかく速く納めないといけないのに寄り道していては大損だ。速さが正義なのは事実だし、僕はただでさえ手が遅いのでそんなことに時間を使っている場合ではない。

とても褒められたものではないのだが、そうやってあちこち寄り道したことで得られるものもあったりする。
時と場合を選ばなくてはいけないのは当然だし、ほとんどの場合それは単なる邪魔でしかないのでそこは肝に銘じておかなくてはならないのだが、それをただの「無駄」といって切り捨てたくはないし、それくらいの余裕をもって仕事ができるようになりたいと思う。

僕は Web のエンジニアなので、コードを速くかつ正確に、そして見通しよく書くことを目指している。
実際のところ、バイク屋で働いていた時もそれは変わらなかったと思う。作業は速く正確に、そして見た目にも機能的にも美しいものを作ることが僕の仕事だった。どんなときにも手を抜かず、真剣に対峙していたので本当に神経をすり減らしたが、その経験がいまに活きていると思いたい。

最近よく思うのは、本当にウィークポイントとストロングポイントは表裏一体だということ。
自分の長所だと思っていてもそれが相手や目的にうまくフィットしないこともあるし、自分では短所だと思っていたことが実はその人にしかないものを生み出す源流だったりする。これはたぶんどんな人にも当てはまるし、そこに気づいているかどうかで選べる選択肢ややりかたが大きく変わってくるだろう。
とはいえそんなにうまくコントロールできるわけもなく、だいたいが短所に足を引っ張られて失敗するのが関の山なのだが…。

自分ではそこをうまくコントロールできなくても、仲間と補い合いながら目的に向かえるのはやはり僕にとってとてもありがたい。
たぶん僕は誰かと一緒にやっていないとうまくできないんだと思う。いまの環境には本当に感謝しているし、なにか恩返しできるように日々努力している(つもりではいる…)。

残りの時間を如何に充実させるか

「余生」という言葉は好きではない。
これから先は確かに言わば『アディショナルタイム』なのかもしれないが、それは決して「余り」ではないし、そうはしたくない。
一般的に考えると、僕の残りの人生はうまくいってもあと20年くらいだと思われる。その20年であとなにができるだろうか。

いま既に下り坂にいることは自覚している。実際のところ体力は落ちてくるしアタマは薄くなってくるし、近くの文字は読めなくなるし下っ腹のぜい肉は落ちやしない。
以前は #起きたっきり老人 なんて調子のいいことを言ってはいたが、それもだいぶ危うい。ここ最近では勉強会もオンラインでのスタッフ業務ばかりになってきているので、いざオフラインの勉強会に戻ったときに以前のように走り回れるかと言われたらかなり怪しい。
それでも身体が動く限り、頭が働く限りは少しずつでも前へ進むだけだ。少しでも自分のできることを増やして、誰かの役に立つために働くことが僕の「天命」なのかもしれない。
ただ残念ながら相変わらずアタマを使うのは得意ではないので、身体を動かして身体で覚え、それを活かせる方法を模索していこうと思う。

これまでになにかを成し遂げてはいないかもしれないが、ではこれまでが充実していなかったかと言われればそんなことはない。これまでずっと自分のやりたいことだけやってきたので、それには充分満足している。
でも、まだまだこれで終われない。やると決めたからには、カッコ悪かろうがダサかろうが、自分を信じて歯を食いしばって前を向くのだ。
結局僕は自分のやりたいことしかできないので、これからもきっと自分のやりたいことをやっていくんだろう。

こんなことは別に誰かに宣言するようなものでもないのだが、ブログのいいところはその時の自分をそこに残せることだ。
明日になればまた違った考えになるかもしれないが、少なくともいまの自分はこう考えていてこうしようと思っていることを切り取っておくことで、また明日も頑張れるのではないかと思う。

という55歳の独り言。55と言ったら四捨五入したら60だよ…。もうアラカンですよ…。

おまけ

ちなみにこの記事のアイキャッチ画像はアメリカの「州間高速道路55号線」のマーク。ルイジアナ州ラプラスからニューオーリンズ・メンフィス・セントルイスを経由してシカゴまで通っている高速道路。

まさにブルース街道じゃないですか(笑