無題

訃報が続くのは辛い。

Jeff Beck の訃報を聞いたばかりなのに、今度はユキヒロさんが亡くなった。

記憶

ユキヒロさんを最初に聴いたのはご多分に漏れず YMO。

デビュー自体は僕が小学生6年生の1978年だが、世間的に認知されたのは1979年だろう。大袈裟でなく、当時 YMO は日本中を席巻した。今ではもう当たり前のように聴く「コンピューター・ミュージック」を一般的にした功績は計り知れない。クラフトワークなんか知らない当時の中学生にとって、YMO の音楽にはそれはそれは強烈なインパクトがあった。

毎日のようにラジオやテレビから YMO の曲が流れ、あらゆる雑誌で YMO の特集が組まれていた。多感でかつ影響を受けやすい時期に刷り込まれた YMO の呪縛は、いまの僕にも大きな影響を残している。
「シンセサイザー」というこれまで知らなかった「電子楽器」を駆使して演奏される曲は本当にインパクトが強かった。いまはそんなことないのだろうが、僕が通っていた中学校では当時廊下に「足踏みオルガン」が各階にひとつずつくらい置いてあって、休み時間になるごとに仲のいい友だちと YMO の曲を弾いていたのはいい思い出だ。

音楽の系譜の原点

このころからいままでまったく変わらないのだが、誰か好きなミュージシャンができると、そのミュージシャンのルーツやらその周辺のミュージシャンの曲を洋楽邦楽問わず聴きまくるのが楽しみのひとつになっている。
YMO 経由で聴くようになったミュージシャンは数多い。たぶん僕が最も影響を受けたミュージシャンが YMO だろうと思う。

ユキヒロさん経由の場合、まずは「サディスティック・ミカ・バンド」から聴き始めた。YMO でのドンカマにシンクロさせたドラムのインパクトも強かったが、ミカバンドでの若いドラムプレイも衝撃的だった。特に「黒船(嘉永6年6月2日)」のドラムはいまでも大好きだ。とにかく、これまで聴いたことのないカッコよさだった。

そしてソロアルバムをはじめとして邦楽なら高中正義やムーンライダース、洋楽ならビートルズやロキシー・ミュージックとかに派生していったのだが、特に YMO のエッセンスはもちろん感じさせつつも一味違うソロアルバムはどれも好きになった。こんなオシャレな曲を作るドラマーがいるのかと本当に文字通り「聴きまくった」。

色々聴いていくと、単に「ドラマー」としてだけでなく、メロディメイカーとして、アレンジャーとして、プロデューサーとしての作品もどんどん好きになっていった。ありとあらゆるユキヒロさん関連の音源を聴きまくった。「テクノ」をベースにしつつも、単なる「テクノ」にとどまらないオシャレな曲調のアレンジやボーカルにも、本当にどっぷり浸った。これまで聴いたどんな音楽とも違う、独特な世界を知ることができた。

そんな感じで聴くミュージシャンもジャンルもどんどん広がって行ったので、いわゆる「ロック」や「ブルース」なども同時期にあれこれ聴くようになっていたが、そういったこれまで知らなかった新しい音楽の世界に、中学生の頃に触れることができたことは僕を形作る大きな要因になった。そして、YMO を起点としてそのルーツや派生を探して聴いていくのはとても面白かった。ただ自分の興味だけで探していたら、きっとピエール・バルーやバート・バカラックを知ることはなかっただろう。

ユキヒロさんのソロアルバムは、バイク屋に勤めていたころまでは CD を全て買って持っている。その頃は新しいアルバムが発売されると必ず買っていた。「ハズレ」はないと確信していたからだ。ミュージシャンによってはアルバムによって好き嫌いが分かれることもあるが、ユキヒロさんのアルバム(というか曲)はどれも僕の好みにぴったり合っていた。そんなミュージシャンに出会えたことも、僕にとって幸せだった。

ソロのライブに行けなかったことがかえすがえすも残念だが、YMO としてのライブは散開ライブとテクノドンのライブに行くことができた。もうはるか昔の話だけれど、ありがたいことに音源はあるのでいまでも聞くことができる。
何度も何度も繰り返し聴いているので、ちょっとしたフレーズを聴くだけでその時のことを鮮明に思い出す。

いままたユキヒロさんの曲を聞いていて確信した。僕にとっての「テクノ」は、まさにユキヒロさんの曲だったんだ。
このドラム、ベースライン、メロディ、ボーカル…。僕が育った「テクノ」はここにあった。スピード感あふれる曲も、メロディアスな曲も、どれも僕の思う「テクノ」はまさにこれだと再確認した。
僕にとっての「テクノ」がユキヒロさんだったということは、僕にとっての「YMO」はまさにユキヒロさんありきだったということだ。
たしかに同時期教授も聴いていたし(高校生くらいは教授のほうが積極的に聴いていたかもしれない)細野さんも同じようにはっぴいえんど、ティン・パン・アレイまでさかのぼって聴いていたのは事実だ。でも、やはり僕の「テクノ」はやっぱりユキヒロさんだった。

残念ながら新しい曲を聴くことはもう叶わないけれど、これまでのたくさんの作品を聴くと、いつでもその頃に戻れるというのは幸せなことだ。

そうこうしているうちに、バート・バカラックも鮎川誠さんも亡くなってしまった。
今年は本当に嫌な年だ。

でも明日は来る

ユキヒロさんの四十九日が過ぎたので、僕もそろそろ次へ進もうと思う。